プロフィール

トッキー

こんにちは、当ブログ管理人のトッキーです。

本ページでは、オシャレ研究所の概要運営者のプロフィールについて記載いたします。

オシャレ研究所

運営責任者

トッキー

開設

2023年1月

概要

おしゃれの楽しみ方を教えるメンズファッションブログ

ミッション

一人でも多くの人が外見に自信を持ち、生活に関わるあらゆるパフォーマンスをあげれるようになって欲しい。そんな想いで、発信しています。

運営者

トッキー
アイコン
  • 176cm 73kg
  • 慢性片頭痛持ち
  • 東京都墨田区在住
  • 1994年生まれの代
  • 好きなブランドはNEEDLES
  • 本業はメディア運営の業務委託
  • 趣味は、サウナ/日本酒/野球観戦(中日ファン)

「オシャレ研究所」をはじめた理由

仕事や持病による挫折で、いつも支えてくれたのは『服』でした。

おしゃれをして外に出ると、不思議と背筋が伸びて自信に満ち溢れます。

外見を変えれば、自信も自己肯定感もあがります。

一人で多くの人がおしゃれに見せることが出来るようになって、自分と同じように自信と自己肯定感を高め日々のパフォーマンスをあげれるようになって欲しいと思ったことが、オシャレ研究所をはじめたきっかけです。

SNS

以下のSNSを運用しています

X(旧Twitter)ではファッションに役立つ情報を、InstagramとWEARでは日々のコーデを発信しています。

略歴

1995年
誕生

愛知県にて生まれる。

2007年
中学入学
「服」との出会い

中学高校は、愛知県の中高一貫の男子校に通っていました。

私服通学だったので、自然と「服」に興味をもつ機会に恵まれましたね。

正直、この中学〜高校までの記憶は薄いです(笑)

なぜなら、特に何も考えておらず、周りや世の中に何か主張することもしていませんでした。

中学高校なら皆そんなもんと思われるかもしれませんが、周り以上にですw

ついで言うと、キャラクターも陽キャと陰キャの中間のような中途半端な感じでしたw

中学3年間は、軟式野球部に所属していました。

高校3年間は、バイトしつつ受験勉強をしていましたが、受験勉強はかなり中途半端でしたね。。。

「服」との出会いですが、一番初めに服に興味を持ったのは、中2くらいです。

私服通学でしたので、クラスの中でいわゆる陽キャラと言われる中心層は、服を着飾り髪も染めて、どんどんチャラチャラした見た目になっていきます。

ぼくもおしゃれをしたいと思いますが、今とは違い周りの目を気にしていたので、なかなか一歩踏み出せずにいました。

そんなある日、母親と名古屋のPARCOに服を買いにいきます。

人生で初めて、自分できちんと服を選んで買いました。

この時に買ったのは、RAGEBLUEのパーカーとVANQUISHのダメージジーンズ、テカテカダウンです(笑)

VANQUISHはギャル男向け・お兄系のブランドで、今の自分とも昔の自分とも全く異なる系統なので、なぜチョイスしたのかは疑問ですw

普通のストレートデニムではなく、ダメージジーンズを選ぶあたりは、今と一緒で周りと少し違うものを着たい欲があったのかなと思います。

テカテカダウンは、結局恥ずかしくて着れませんでしたw

その後は、名古屋の大須のWEGOやSPINNS、古着屋に一人でよく通っていました。

男子校なので、塾など女の子がいる場所へ行く時は特におしゃれをしたくなり、自然と流行りも追ってましたね。

ブランドに関しては、特定のものにこだわりはありませんでした。

服を組み合わせて着ること自体を、人よりもすごく楽しんでいた気がします。

服好きの祖母や、古着を安上がりに上手に着こなす母の影響も少なからず受けていたかもしれません。

2014年
大学入学
激動の4年間と第1次服ブーム

大学に入学し、アルバイトが出来るようになり自由にお金を使えるようになったので、第1次服ブームが到来しますw

アルバイトで稼いだお金で、WEGOやセカストなどの古着屋で服をよく買っていました。

WEGOならWEGOオリジナルのもの、セカストならSTUSSYやポロラルフローレンなどのブランドを掘り出したりして、とにかく安く服を着ていました。

当時も特定のブランドにこだわりはなく、とにかく色んな服を着てファッションを楽しみたい気持ちがありました。

月日の経過とともに、服装はどんどん過激になり、カラフルになっていきますw

周りからおしゃれだねと褒められることが多くなり、調子に乗り出したのもあるかもしれません(笑)

さて、一旦服の話しは置いておいて、大学時代の話しです。

人生の中でもトップレベルで濃密な期間でした。

通っていたのは、石川県の某国公立の大学です。

食に関心があったので、食品系の学科です。

ですが、ほぼ学校には行ってませんでした(笑)

80%くらい単位を残して中退しましたねw

大学には行っていませんでしたが、大学で石川に行ったことは人生最大の転機であり、在籍していた4年間はかなり濃密なものでした。

俗に言う意識高い系だったのですが、どんな活動をしていたか書きます。

いわゆる学生団体での活動に力を入れていて、イベント系の学生団体代表を務めていました。

「政治家と学生で恋バナする」50人規模のイベントを行ったり、東京のベンチャー企業のインターン選考会を金沢に誘致したりしていました。

また、食農系の老舗ベンチャーで半年間の長期インターシップに挑戦して、自分で食材を仕入れて売る実践的なビジネスを経験しました。

さらに、東京のベンチャーでも数社インターンをしていました。

プライベートでは、通算約2.000kmヒッチハイクしたり、路上ナンパや車校でナンパしたりしてました(笑)

我ながら破天荒でものすごい行動力でしたねw

色々と書きましたが、4年間でなにより大きかったのは、「尊敬出来る大人や高め合える同世代とたくさん出会えたこと」

ここで出会った人との縁は今でも続いていて、人生の転機では幾度となく彼ら彼女らの手助けがありました。

また、彼ら彼女らとの出会い、そして自分の活動を通じて「自分の好き嫌い」「得意不得意」「やりたいこと」が朧げながらに理解できましたね。

2017年
就職
食農業界にどっぷり浸かる。

22歳の時、大学を中退して就職します。

その後、正社員として3年間働いたのですが、大学時代に並びかなり濃密な期間でした。

この期間があったからこそ、自分の好き嫌いや得意不得意が大学時代よりも鮮明になり、なにより自信を強く持てるようになりました。

働いていた会社は、石川県の青果流通会社。

チャレンジングな事業を行う老舗ベンチャーです。

もともと長期インターンをしていて、有難いことに「うちに来ないか?」と代表から声をかけて頂き、就職しました。

尊敬していた社長からだったので、とても嬉しかったです。

大学在学中だったのですが、通ってなかったので、ようやく中退する決心がつきましたw

そして、入社前に「働くのは、独立前提で3年間のみ。」という条件を受け入れて頂きました。

いま考えると新卒から調子にのってましたねw

営業を中心に広報業務を3年間行いました。

営業としては主任の役職で、三越伊勢丹をメインに担当し高級商材を提案したり、県と伊勢丹の催しの段取りを行っていました。

また広報としては、数百人規模の採用イベントに登壇したり、食農に関心ある学生を30人位集めて尖った農家とパネルディスカッションするイベントなどを実施しました。

自分で言うのも難ですが、かなり一生懸命に働いていましたね。

外に向いて活動していたのもあり、日本仕事百貨を運営する株式会社シゴトヒトさんのイベント「しごとバー」に呼んで頂いたり、母校の大学にて非常勤講師として教鞭をとらせて頂いたりしました。

母校…というか、中退してますけどw

と、そんなこんなで月日はあっという間に流れ、就職のときに約束していた3年が経ちました。

独立して絶対これをやる!という明確なものは正直なかったですが、ぼんやりと描いていた構想はあったんです。

また、今やらないとズルズル先延ばしになりそうな感じがしたので、退職を決意しました。

食農業界に本気で惚れて、自分の強みがはっきりと分かった濃密な3年でしたね。

さいごに、この時期のファッションの話しをしておきます。

大学時代後半もそうですが、かなり精力的に活動していたため、注意や考えが身辺に至っていませんでしたw

それでも、大学時代の初期ほどではないですが、おしゃれ欲は相変わらずでしたね。

服はモノトーンに変化しますが、ベレー帽やかぶったりソックス見せコーデをしたり、チャレンジングな着こなしをしていました。

2020年
独立&起業
食農業界への挑戦と持病

食農業界に何かで貢献し続けたい。

そう思っていたところ、友人のデザイナーと意気投合し、食農業界に特化したデザイン事業を行っていくことを決心します。

ぼくも友人も在職中だったため、共に退職する決意も同時にします。

まずは、食農関連企業に営業し、デザインの業務委託契約を結ぶとこからスタートします。

有難いことに、前職の繋がりで金沢の大型スーパーや、SNSを通じて農家や飲食店から依頼をいただくことが出来ました。

また、コロナ禍には、金沢のテイクアウト出来るお店約300店舗の情報を集約したポータルサイト「金沢の美食と共に」を立ち上げました。

メディアにたくさん取り上げて頂いたのもあり、一定の効果を得ることが出来ましたね。

全体の売上こそ少ないものの、取引先は徐々に増え、仕事も楽しく暫くは順風満帆でした。

しかし、事業を初めて約1年が経った頃、転機が訪れます。

創業パートナーのデザイナーが僕との仕事を止めたい。

つまり、解散したいと言いました。

本人が新しくチャレンジしたいことを見つけたのもありますが、ぼくの持病である慢性片頭痛により、事業をスピード感もって進められなかったが大きな理由です。

この病気の説明をした上で事業を進めてきましたが、やはり我慢の限界が来たというわけですね。

持病もなかなか良くならなかったので、覚悟はしていました。

彼には本当に迷惑をかけたので、今でも感謝の気持ちでいっぱいです。

2021年
フリーランスのグラフィックデザイナーに転身
挫折と不退転の覚悟

前職のパートナーとは、別々に活動していくことになりました。

しかし、「食農業界にデザインで貢献したい。」という思いがまだあったので、一人でグラフィックデザイナーとして活動していくことを決心します。

新たにパートナーを探さなかったのは、自分一人だけでどこまで出来るか試したかったからです。

また、これ以上誰かを巻き込み持病で迷惑をかけたくないと思ったのも大きな理由です。

一人で活動していくとはいえ、自分のグラフィックデザインのスキルはまだまだでした。

前職のパートナーと活動していたとき、僕はほぼデザインにタッチせず、役割は営業とディレクションだったのです。

ですので、独学で書籍やオンラインサロンで学びつつ、クラウドソーシングで案件をとっていくことからスタートしました。

オンラインサロンでアウトプット重視の学習をしていた成果が実り、クラウドソーシングでいくつか案件をとれるようになりました。

そうして、いくつか案件を重ねていくうちに、持病を抱えながらクライアントワークすることへの限界を感じました。

クライアントワークではお客さんと対面している際に、きちんとした体調で頭が働いていないといけません。

当然ですね。

重大なミスを犯してしまうことに繋がります。

テキストコミュニケーションで完結するなら問題ありません。

体調が悪い時には、休めば良いわけですからね。

しかし、リアルでもオンラインでも対面を必要とする場合、そういうわけにはいきません。

この時期は、持病も酷く寝込むこともあり、今後のキャリアに関して熟考しました。

頭痛がひどい時にでも無意識に好きでやっていることは何だろう?と自問しました。

体調が悪い時にも出来るということは、それだけ好きなので、絶対にそれを仕事にした方が良いわけですからね。

そうして、たどり着いたのが「服」でした。

頭痛がひどくて寝込む時にも、よくファッションオンラインサイトをネットサーフィンしています。

また、暇さえあれば、明日来る服装などを考えていました。

問題は、「服」をどう仕事にするのか?です。

これはブログ一択で決まりでした。

テキストベースでかつ人と関わらないのであれば、誰にも迷惑をかけることなく、自分のペースで仕事が出来ます。

仮にブログで稼げなかったとしても、かなりのスキルが身につくので、ライターやWEBマーケターとして潰しが効くと考えました。

「もう、これしか無い。」

そう思って、即デザイナーを辞めました。

Adobeやデザインのオンラインサロンを解約して、デザイン系の教材もほぼ捨てました。

食農業界へのこだわりも一旦忘れることにしました。

自分で言うのも難ですが、食農業界にはかなり強い人脈がありました。

しかし、それも全て忘れてゼロベースからのスタートです。

大袈裟に聞こえるかもしれませんが、自分にとって一世一代のチャレンジに対する決意です。

2022年
「オシャレ研究所」運営開始
第2次服ブーム、そして「オシャレ研究所」開設。

2022年の終わり頃、第2次服ブームが到来しますw

きっかけは、俳優である滝藤賢一さんのスタイルブック服と賢一を読んだことでした。

とにかくファッションを楽しむ滝藤賢一さんに感化されまくって、自分ももっともっと服を楽しみたいと思うようになりました。

服装も滝藤賢一さんのスタイルに憧れ、ニードルズのトラックパンツや柄シャツを買いあさりましたね。

クローゼットがみるみるカラフルになり、柄が増えていきます(笑)

色柄多めの系統は、現在も続いています。

ここから、大学時代後半や会社員時代のようにモノトーン好きに戻ることは、あまり想像できませんw

服と賢一を読んだタイミングは、ちょうどオシャレ研究所を立ち上げたタイミングと重なります。

少なからず影響を受けてブログを立ち上げる決心をしているので、滝藤賢一さんにお会い出来るような機会があれば、感謝の気持ちを伝えたいですね。

現在の仕事は、本業として業務委託でメディア運営をしています。

しかし、自分のサイトであるオシャレ研究所の運営に一番の本腰を入れています。

直近の目標は、オシャレ研究所から発生する収益のみで生計を立てることです。

ある程度軌道に乗ってからのチャレンジにはなりますが、夢は自分のブランドを持つことですね。

オシャレ研究所の運営と自分のブランドを通じて、1人でも多くの人が外見に自信を持てるようになれば、この上なく幸せです。